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deadman the 1st (2003.04.15~2005.05.03)

訃報・終了情報系サイト “deadman” は更新を終了しました。

過去ログ
deadman - deadman the 1st (2003-04-15~2005-05-03)
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2005年01月31日 記す

mohri2005-01-31

[] 2005/1/31 漫画家 中尊寺ゆつこさん 死去 42歳

記事には「昨年夏から闘病生活を送っていた」と書かれてあるので、とりあえず死因はご病気だったのでしょう(TVニュースなどでは「急性のがん」と報じられているとのこと)。本当に若すぎます。寂しい。ご冥福をお祈りいたします。

1989年、「お嬢だん」を出版、ベストセラーになった。ゴルフなどで中年男性のような行動をとる若い女性を軽妙に描き、「オヤジギャル」は流行語大賞になった。エッセーでも活躍。主な作品に「スイートスポット」「セレブ列伝」「お嬢品経済学」などがある。

漫画家の中尊寺ゆつこさん死去 - asahi.com : 社会

中尊寺ゆつこという名前をひさびさに聞いたと思ったら訃報でした。なんか寂しい。おそらく世間的な理解は「オヤジギャル」元祖ということなんでしょうけど、その前に「ロシアバレエ団」というバンドで「ナゴム」からシングル切ってたあたりからなんとなくそのキャリアというか露出というかビッグになる過程wみたいなものを付かず離れずで見てきたような気がしてて、だから余計に寂しいのかなと思ったり。

お嬢だん (1) (双葉文庫―名作シリーズ)

お嬢だん (1) (双葉文庫―名作シリーズ)

で、それがいまは「ソトコト」で連載して本にまとめるような立ち位置のひとになっちゃってたんだあ、ということを亡くなってから知って、なんとなく寂しさ倍増というかですね。よくわかんないですけど、バブルは本当に終わっちゃったんですねえ。はい。そんな感じです。

アフリカンネイバーズ

アフリカンネイバーズ

帰って「ロシアバレエ団」でも聴きながらご冥福を……祈れるか!w

ちなみにご主人の小林雅明氏はBLAST誌あたりに書かれているヒップホップ系のライターの方だそうです。

誰がラッパーを殺したのか?―ドラッグ、マネー&ドリームス

誰がラッパーを殺したのか?―ドラッグ、マネー&ドリームス

関連リンクなど

オレが調べるまでもなくfinalventのひとを参照されるよろし。というかfinalventの中のひとって40代半ばだったんだあ。もっと上かと(ry

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20050131

それにしても?Dのキーワードってほんと便利だ

……と書いてたらあっと言う間にd:keyword:中尊寺ゆつこから千人近い人が来てますよ! すごいな。

追記 [2004.0204]

訃報直後はアクセスできなかった公式サイトですが、落ち着きましたね。

Chusonji Comix

経歴などはこちらにもまとまっています。スイート・スポット全タイトルとかフツーにすごいな。

http://homepage3.nifty.com/p_swkt/sw_comi/chusonji/chusonji.htm

そしてd:keyword:中尊寺ゆつこからは6,000人ものひとが訪れてきました。こんなにキーワードからが爆発したのは久しぶり。というかこの量ははじめてかも。

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2005年01月28日 記す

mohri20050128

[] 最後の「踊る警官」

最後の「踊る交通整理」=品川で10年、宮沢さん退職へ

踊るように交通整理をすることで人気を集めた警視庁品川署交通課の宮沢恵禧巡査部長(60)が28日、「ラストダンス」を披露した。…… 宮沢さんの舞台北品川2丁目交差点。片側4車線の第一京浜と山手通りが交差する事故多発個所だ。約10年間、宮沢さんはほぼ毎夕、右に左に行き交う車を見事な腕さばきと軽快なステップで誘導してきた。車も人の流れも知り尽くし、「あの大きな交差点が、小さく見えるんですよ」と笑う。

ご苦労さまでした。

と、一見ほのぼのしたニュースですが、定年まで巡査部長という経歴を下記のようなページを照らし合わせるにつけ、いろいろと人生について考えさせられたりられなかったりしませんか、みなさん!

人気ドラマこちら本池上署」の佐藤B作が「巡査部長」という役柄だそうです。

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2005年01月19日 記す

mohri20050119

[] 2005年2月26日 スーパーカー 解散

http://www.supercar-net.com/ によると

弊社専属アーティストでありますSUPERCARが、2月26日studio coastのライブをもって解散することとなりました。…… 解散後のメンバーそれぞれの活動に関しましては、現時点では白紙の状態ですが、また違った形で皆様のご支援を仰ぐこともあるかもしれません。

という事務所ブルーワンミュージック)およびレーベル(キューン)連盟のリリースが出されています。メンバー本人たちからのメッセージはまだあがってないようですね。

スーパーカーといえば初期のインディギターロック然としたサウンドと打ち込みを導入して音響エレクトロ系に接近した後期では好みが分かれるとこだけど、オレ的にはご多分に漏れず後期、やはり「ストロボライツ」の「たすふぉーあいたすつーあいたすふぉーあいたすつーあい……ひくさんせっと(+4愛+2愛+4愛+2愛……-sunset)」というとんでもない歌詞にはビックリさせられました。

HIGHVISION

HIGHVISION

PLANET
初期からかなり熱心に活動されていた公認ファンサイト。確か定期的にスーパーカーナイトも企画したりしてたんではなかったでしょうか。

関係ないですけど、ブルーワンの所属ミュージシャンを見てるとちょっと面白いですね。スーパーカーのほか電気方面やフミヤ(not 藤井)というのは分かりやすいですが、GAKU-MCとか朝倉大介(access!)とか、ノーナにビートクルセダーズ、かと思えばリトテン。統一感があるような無いような微妙な揺らぎ具合。

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2005年01月10日 記す

mohri20050110

[] 青年の主張

テレビの土踏まずさんのところで今年(というか今日)は「青春メッセージex-青年の主張)」放送されなかった、ということを知ったのだが*1、なんというかまったく感慨がない。青年の主張と言えばタモリがよくマネをしていた「わたしは……! そのとき……! おもったのです……!」という間の抜けてるくせに語尾に力のこもった妙テケレン朗読スタイルなのだが、アレって21世紀になってもやってたのだろうか?

いちおググってみたところ、取り上げている日記ブログが2つほど見つかりました。

NHKのあゆみによると、第1回「NHK青年の主張全国コンクール」優勝大会が実施されたのは1955年1月10日のこと。敗戦から10年。ザ・20世紀によれば、庶民は「三種の神器*2」を夢見つつ日々満員電車に押し込められ(新宿駅に「押し屋」が登場)、娯楽では映画館ジェームズ・ディーンマリリン・モンローに憧れる。そんな時代の「青年」たちは「金の卵」と呼ばれ田舎から集団就職東京に出てきて格安の労働力として高度経済成長を底辺で支え続け……*3

という時代の産物だったわけですな。そりゃまあ青年にも主張したいことはたくさんあっただろうけど、もし今年やったらこんな感じになるのかなあ:

わたしは……! いま……! 職に就いていません……! 就職のための……! 職業学習も……! 受けていません……! みなさんにからは……! 「ニート」……! と呼ばれ(中略)働いたら……! 「負けかな?」……! と思っているのです! ごせいちょうありがとうございました……!

まあ、確かにこれじゃ成立せんわな。終わるのも納得行くが、それにしてもまたヒッソリと終わったもんです。1990年に名前を「青春メッセージ」なんてぬるーいのに変えたとき(「主張」→「メッセージ」というこのトーンダウン具合)に終わっちゃったようなもんだけど、1997年にはコーネリアスライブやってたりして同時代性を見せたときもあったんだけどね。FANTASMAの年だ。渋谷系全盛期でした。

今回の終了についてNHKプロデューサーに取材した記事があったんだけど、ここで「ブログ」なんて言葉が出てきてるのがちょっとわらった。

NHKの亀谷精一(かめたに・せいいち)チーフプロデューサーは「番組歴史的な役割を終えた」と話す。

近年は、公開日記的なウェブサイトブログ」や、自作の詩を朗読し合う「詩のボクシング」など、多様な表現手段が次々と登場。「今はインターネットで意見を発信できる。十代でも、例えば海外ボランティアに行きたいと真剣に考えれば、論じる前に行くことが可能な時代になった」と亀谷さん。

NHKは後番組として十日夜、コーラスやブラスバンドの演奏、ファッションなどを若者が披露する「ライブジャム2005 大集合・ニッポンの若き挑戦者たち」を放送する。

「青春メッセージ」が終了/意見の発信方法が多様に [Web東奥・特集/スクランブル 2005/1/7])

つか「ライブジャム2005」って、それヌルイでしょ! 出演はベッキー写真)とペナルティダイノジってまた微妙な……。やっぱNHKなら「真剣新成人しゃべり場」をやらないといかんでしょ。今までの歴代出演者の中でちょうど新成年を迎える人ってきっと何人もいるはずだし、そういうのを集めてさ、激論しようよ、特番で! 生で! 朝まで! いやそれだとテレ朝だから録画でもいいです。つかなんでやんないんだろうねえ。

しゃべり場 メンバー紹介

*1パーマネントリンクが無いので探してください「『第 55 回 NHK 紅白歌合戦』全歌手感想文」という記事の北島三郎の項です

*2冷蔵庫洗濯機テレビ

*3:詳しい話はキミのお父さんに聞こう!

junnejunne2005/01/15 01:1389年かそのくらいだったと思うのですが、バンドブーム全盛期にはUp-Beatのライブをやってましたよ>青年の主張

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2005年01月09日 記す

mohri20050109

[] 2005/1/8 「小森のおばちゃま」こと小森和子さん死去 95歳

40歳の時*1に当時「映画の友」編集長だった故淀川長治さんの勧めで映画批評を書き始めた。……髪を染め派手な衣装に身を包んだ外見と、独特の軽妙な語り口はテレビでも人気を集め、バラエティ番組へのゲスト出演も多かった。「おばちゃま」「モアベター」などの言い回しは流行語にもなった。……1992年には私財3000万円を「日本映画振興のために」と松竹に寄贈した。……十数年前に仕事をやめ、自宅で療養しており、晩年は体調を崩して外に出ることは少なかった。

小森和子さん95歳=おばちゃまで人気の映画評論家 [MSN-Mainichi INTERACTIVE])

ごめんなさい、最近お見かけしないのでもう亡くなられたのだとばかり思っていました。ご病気だったのですね。ご冥福をお祈りいたします。

小森和子さん(03.03.20 20:01:24)大手小町
2年前の大手小町でもご存命かどうかが話題(?)になってました。レスがあまりついてませんが、最新レス(2004年5月)で寝たきりということが書かれています。身の回りの世話をしているという養女の方が、その上のレスで遺産狙いとか書かれちゃってるひとなんでしょうね
日本モンド人物図鑑:小森和子
2004年9月のエントリ。このページの写真淀川長治さんの葬儀1998年11月13日)で車椅子を押しているのが養女の方でしょうか。つか、なんでシベ超!?
小森和子:検索結果カルト事件簿)
1995年に自宅で倒れていたという記事がありました。ちなみに1994年(10年前だ)の記事で85歳の誕生日を祝ったというムービーサロン「ココ」も、上の大手小町によると閉店しているとのこと。
|| Not Found ||
信仰されていたそうです。

なお、上記記事中で「文壇人やハリウッド男優らとの交際も赤裸々に語り、恋愛遍歴をつづった」と書かれている自叙伝「流れるままに、愛 (集英社文庫)」をはじめとする著書のすべては現在絶版のようですが、きっと近いうちに増刷されたりするんだろうなあ。つか今ならAmazonマーケットプレイスで40円から*2

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087491722/mohri-22

おまけ

折り顔 /小森和子

*1:55年前になるので、1950年ということになるでしょうか

*22005年1月9日現在

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2005年01月07日 記す

mohri20050107

[] 2005年ハスキングビー 解散!

なんてこった!! 日本最強のエモバンド(と敢えて言わせていただきますが)Husking Beeが解散だそうです。

ラストツアー東名阪3箇所6公演だそうです。チケット取れるかなあ。

皆様にお知らせ致します。HUSKING BEEは解散することになりました。

ちょうど十年、活動してこれました。

確固たる目標もなく友人の集まりで始めたバンドが、沢山の出会いと別れ、様々な場でのライブ&レコーディングを重ね、目標を持ち、進んでこれたことを嬉しく思います。

その進境のなか、関わり合い支えてくれた方々へ、感謝の気持ちは止みません。

この大きな節目が、四人の今後の活動を長い時間をかけて後押ししてくれるものであれば。

HUSKING BEEで音楽に携れて良かったという思いもこれからの大きな支えです。

長い間ありがとうございました。

公式サイトでの磯部のメッセージ

オレが好きなハスキン

THE SUN AND THE MOON/STILL IN THE SAME PLACE?/後に跡/

THE SUN AND THE MOON/STILL IN THE SAME PLACE?/後に跡/

これからもう5年なのかあ。名盤。「後に跡」の韻は名盤

http://in-the.air-nifty.com/rock/2004/09/the_sun_and_the.html

ネタ元はMusicMachineのBBS(つかいまMokラジオで言ってた)

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2005年01月06日 記す

mohri20050106

[] 1/14 ふみの日ブルーナ切手」販売終了

TFJ's Sidewalk Cafe: Photolog より

郵政公社プレスリリース等はみつけることができませんでしたが、郵便局員に尋ねたところ、特にこの郵便局に限った話ではなくて全国で販売終了だそうです。ミッフィー切手が買うことができるのも残りあと数日です。

急いで買いに行かないと!

ブルーナ切手って?

まず、ふみの日については、郵政省ゆうびんホームページに説明があります。

手紙の楽しさ、手紙を受け取るうれしさ」を通じ、文学文化継承する一助となるようにとの趣旨から、郵政省昭和54年(1979)に、毎月23日を「ふみの日」と定めたものです。

毎年「文月ふみの日」にあたる7月23日には、「ふみの日にちなむ郵便切手」を発行しています。

つまりこれまで25回分の「ふみの日記念切手が発行されているわけですが、その中でも1988年から2002年までの5年間はミッフィで知られるディック・ブルーナイラストを使用してたいへんな人気を博し、とくに2001年からは80円切手シートで「変型切手」を採用したことでも話題になったわけです。

ディック・ブルーナ

ブルーナご自身はまだご存命で(1927年8月生まれなので当年取って78歳ですか)当サイトで扱うのは少々気が引けますが、作品などを何点かピックアップしてみます。

ミッフィーはちょっと子供っぽくて……」という方もいらっしゃるかもしれませんが、最近ではたんに「絵本を描くひと」としてでなく、ミッフィー以前に手がけられていたペーパーバックの装丁なども踏まえつつ、アンリ・マティスなどの現代絵画に影響を受けたデザイナ/画家としてみるようになっているように思います。

ただ、そのあたりが載ってそうな大人向けのブルーナの本やムックは以外と少ないですね。ちょっと調べてみたところこのあたりが良さそうです。

大人でも楽しめる絵本ではこのあたりが定番ですね。ちょっとシーズンを外してますが。

ケムエルとノアのはこぶね

ケムエルとノアのはこぶね

*1ファイル名が「index..html」ってさあ……

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2005年01月05日 記す

mohri20050105

[] 1/3 米漫画家ウィル・アイズナー氏が死去 87歳

1940~52年に日曜日新聞紙上で連載された「ザ・スピリット」では犯罪に立ち向かう仮面の主人公の活躍を描き人気を集めた。絵とセリフの絶妙な組み合わせで現実感ある作品をつくったと評され、1988年には米国の優秀な漫画に「ウィル・アイズナー賞」が贈られることが決まるなど、米漫画界の代表的存在だった。

米漫画家ウィル・アイズナー氏が死去 [nikkansports.com])

国内にはほとんど情報がないようなのでUSのサイトをいくつかリンク

これが最新刊でしょうか。

Will Eisner's John Law: Dead Man Walking

Will Eisner's John Law: Dead Man Walking

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2005年01月04日 記す

[] 1/3 吉本興業 林裕章会長が死去 62歳

1971年吉本興業初代社長……故・林正之助氏の娘、マサさんとの結婚を機に同社に入社 …… 1980年には以前から訴えていた東京進出を果たし、同社発展のきっかけを作る。…… 1999年、中邨秀雄前社長からバトンタッチされ、社長に就任した。

それまでの多角化路線を改め、「お笑い強化」への方針転換を発表2000年には、売り上げの6割を占める東京支社を本社に格上げし、大阪との東西2本社体制を敷いた

どうやら「マンザイブーム」以来20年ぶりに大きな「お笑いブーム」が押し寄せている2005年始のニッポンですが*1、そのまっただ中で「東京吉本」に尽力した方が亡くなるというのもなにかの因縁でしょうか。ご冥福をお祈りいたします。

追記

と書いてて、吉本東京進出とマンザイブームといえばむしろ「ミスター吉本」こと木村政雄氏の功績だよなあ……と思ってググってみたところ、林氏と木村氏は確執があって、2002年10月に木村氏が吉本を辞めてるんですね。

康夫ちゃんにもこんなこと言われてます。

吉本興業木村政雄常務が辞めたじゃない。講演をやり過ぎだ、と社長林裕章から批判されて。でもね、あの会社で成功している事業は殆ど木村がやったものでしょ。林ジュニアというのはホントになぁ。MBAをとったような2人の若者を外資系から入れて、情報産業の雄になろうとしてるらしいよ。遅れたバブル。人間でも組織でも、本業を忘れちゃいけない。」

ページが見つかりません | 週刊ダイヤモンド

しかし、実際のところ21世紀吉本は「ルミネtheよしもと2001年5月オープン)」の成功にみられるように、まさに本業を忘れないことで大きな成果を上げ、また「M-1グランプリ」を立ち上げることで今のお笑いブームを一翼を大きく担っているわけで、康夫ちゃんの苦言は的外れでしょう。

吉本の「東京進出」ということでは、木村氏とマンザイブームの時代では「やすきよ」「ぼんち」「のりおよしお」といった「コテコテの大阪のお笑い」を東京に定着させることで成功したのに対して、ここ数年の東京吉本は脱大阪というかポストダウンタウンというか新しいある意味スマートな笑いを展開し、一方で大阪ではしっかり新喜劇も残すという「笑いの多角化」で成功しているような感じもありますね。

吉本」の新たな首都圏展開 脱「コテコテ」で人気(神戸新聞 2001/05/19)
http://www.kobe-np.co.jp/news_now/news2-027.html
【トップに聞く】吉本興業株式会社林裕章社長スポニチ 2004年6月)
http://www.sponichi.co.jp/osaka/soci/top_interview/0406/all_page.html

さらに

d:id:REDDEVILS:20050104:p1 より

元々肉体派で、ロンブー田村淳が直接ギャラアップの交渉を直談判したとき、上半身裸になってファイティングポーズを取り「俺を倒してから、言わんかい!」と吠えた人が

そんな人だったのか Σ(゚Д゚)

おまけ

no title

no title

行列~」で復帰したなら「紳助は民事で勝てるか?スペシャル」でもやればええのに。わらい。

*1:これはもう正月特番の出演者とかに如実に現れてて、まったく去年まであんなにあった音楽系の特番はどこに行った? ということで音楽業界の沈降に思いを馳せたり馳せなかったり馳浩

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